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by sou-ryu_mame
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江戸の「粋」


こんばんは。
今日はあまりにも暖かく、黙って仕事をしていると
つい、うとうとしそうな陽気でした。
そして、日が陰り始めた今も眠たい宗流です…zzz。


さて。眠気覚ましに本日のまめ知識!
今日は先日の江戸時代の「琳派」文様の江戸繋がりで
「江戸の粋・縞柄」についてのお話です。

江戸時代、特に後期はきものに関しての発展が
著しい時代だといっても過言ではありません。
帯の結び方や、帯揚げや帯締め等の小物の使用も
その一つなのですが、文様の世界にも大きな波がやってきました。
当時の江戸市中の人間の多数を占める「町人」を中心とした、
「町人好みの江戸の粋」を主題にした文様です。

その中でも、大いに人気を博したものに、「縞」や「格子」があります。
ところでこの縞柄、もともとはこの「縞」の字ではなく、
「島」という字があてられていたそうです。
と、いうのも伊勢貞丈という人物が記した「貞丈日記」(1843年)に
よると、この文様は南方の「島」で織り始められた事から、
以前は縞柄と格子柄を含めた、直線で表される柄を総称し、
「島柄」と呼んでいたと記載されているそうです。

もともと「縞(島)柄」は茶道をたしなむ粋人たちの間に流行した、
舶来の織物(名物裂)にあった、「間道」(かんどう)とよばれる
縞・格子模様を織り出したものをさしていましたが、
その需要が高まるにつれ、国内でも縞柄の織物の生産が
始まりました。
その中でも、特に有名なものに唐桟縞があります。
これは、もともと木綿の産地インド・東南アジアからも輸入した
綿織物の総称でしたが、江戸中期以降は日本国内でも
生産されるようになりました。

この綿の縞織物が普及するにあたり、
ファッションリーダー的な役割を担ったのが
当時の役者・遊女たちでした。
そして、彼ら、彼女らの衣装として登場した縞織物は、
やがて徐々に一般の女性たちの間でも大流行を果たします。
また、この縞柄がもし絹織物であったなら、なかなか一般の町人にまで
浸透する事は難しかったかもしれませんが、木綿を主材料とする
織り物であった事から、容易に広まったとも言われています。



ですが、町人文化が全盛を迎えた江戸時代後期、
江戸幕府は幾度も奢侈禁止令を出し、人々の衣服や生活を
厳しく制限していきました。
しかし、この厳しい取り締まりに対して、町人たちは「粋」という概念を持って
独自の町人文化を発展させていきます。
きらびやかで派手やかな色合いを避け、
地味でありながらも渋さを持ち合わせた色合い。
そして、シンプルながらも洗練された線と面の作る意匠。
縞も格子も、ある意味ではそうした制限の中だからこそ
「江戸っ子の粋」という発展を遂げていったのかもしれません。

けれど、そうした制限にも対応できるのは
無駄をそぎ落とした構成、そして究極のシンプルさであるが故。
そして無数のバリエーションにもかなうのは
たった二色で表現可能な意匠だからこそ、なんでしょうね…。



宗流


和装小物 宗流
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by sou-ryu_mame | 2009-04-09 18:07 | 文様について

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