宗流がお届けする小さな豆知識。
by sou-ryu_mame
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きもの検定 きものの歴史 その5




前回までは平安時代の衣装を簡単にお伝えしました。
今回からはそれまでの貴族中心の世から、武家の力が増してゆく
鎌倉から安土桃山時代のお話に入ります。




きものの歴史 その4



…実は宗流、衣服史の中でこの時代が何より苦手です^^;
(と、いうより歴史は全般的に苦手です!)
ですから、少しお話が解りづらい箇所もあるかと思いますが
どうぞひろーい心でご覧頂けますと有難く思います!



まずは男性の衣装から見てみましょう。
貴族が栄華を誇った時代は過ぎ去り、やがて時代は武家中心の
世へと移り変わってゆきました。
また衣服の中にもその移り変わりは顕著に表れており、
特に男性のものは、それまでの国風文化の強い優雅なスタイルから、
機能性と権力の誇示を兼ね備えた衣服が生まれました。

武士たちはそれまでの公家の堅苦しい衣服から、
次第に行動的な衣服を公的なものへと変えていきます。
それが直垂(ひたたれ)、素襖(すおう)と呼ばれるものです。
これらが公家風の衣装と大きく異なる点に、首周りの形が挙げられます。
公家の衣装は、詰襟風の盤領(あげくび)だったのに対し
直垂や素襖は垂盤(たりくび)と呼ばれる、
着物の前合わせのような形をしていました。

そして、着装の見た目にも変化が見られます。
それまでの袍(ほう)を着用する着装では、袴の上に上衣を出していたものが
直垂は裾を袴の中に入れて着用します。
この着装方法も、貴族社会の雅やかなものから、
政治の中心となり、また時には戦も辞さないという
武家社会の在り方を反映しているとも言えるそうです。

「婆裟羅(ばさら)」と称されるものも、この武家社会から生まれました。
これは武士たちが胴服(元来は乗馬の際などに埃よけとして用いられる)や
小袖に吉祥文様などの豪華な模様を施したもので、
彼らはそれを競い合うように身につけるようになりました。



またそれまでの時代にはあまり重きが置かれなかったものが
表にあらわれるようになります。それが小袖(こそで)の存在です。
貴族の装束の下着であったり、庶民の日常着、武家の平常着だった小袖は
この頃から様々な変化の様相を見せるのです。
小袖は、この時代以前の衣装としては最下位の扱いを受けてきましたが
やがてその表面に摺り絵や絞り染めなど、
多様な装飾が施されるようになりました。
庶民の衣服としては、それまでの麻の簡素なものとあまり変化はありませんが
武家社会の小袖には素材に絹が用いられ、文様にも贅が凝らされました。


一方、女性たちの衣装にも変化が見られました。
当時の武家女性たちも、それ以前と同じく重ね着をしていたのですが、
平安時代の袿(うちぎ)のように袖の広く長いものではありません。
袖丈や袖口を縫いとめた、小袖を数枚重ねてその上
小袖と同じ形の打掛(うちかけ)を羽織って略式の礼装としていました。
これは現在でも婚礼衣装として目にする機会が多いかもしれませんね。


また安土桃山時代頃になると、外出時女性たちは小袖を着用し
頭の上から小袖の単衣を頭に被るようになります。
TVのドラマなどでも時折このような様子を目にする事がありますが
これは被衣(かつぎ)と呼ばれています。


このように、鎌倉~安土桃山時代にかけては
それまで目立つ事のなかった小袖が、男女ともに衣服の中心となってきました。
そしてこの小袖は、桃山時代以降もきものという衣服の中心的役割を担い、
その後も発展を遂げていくのです。




きものの歴史 その6へ続く





宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-07-21 23:22 | きもの検定について

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