宗流がお届けする小さな豆知識。
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カテゴリ:きもの検定について( 52 )

きもの検定 全国の染織品 関東地方(栃木・埼玉・東京)


こんばんは。
お盆休みに入られた方も多い中、残念ながら台風が。。
みなさまのお住まいの地域では、雨風は大丈夫でしょうか?
13日明け方には温帯低気圧に変わるようですが、
今夜は東北地方を横断の模様…どうぞ北にお住まいの方々に
影響が出ませんように。


さて…今回は前回に続き、関東地方の染織品のご紹介ですが、
まずはのっけからお詫びです。。前回、重大な失敗をやらかしました。
茨城・千葉・群馬の三県のご紹介でしたが、群馬と栃木を間違えました!
すみません…地理がこの上なく苦手な宗流です…^^;

なので、本日は15・17・18・19…の順番なのですが、
お詫びその2があります。実は19番の神奈川県、随分調べたのですが
ご紹介できる染織品が見当たりませんでした。
もっとじっくり探せばあるのでしょうが、今回は残念ながら
先を進めてまいりたいと思いますので、宜しくお願い致します。




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15:栃木県  結城紬(ゆうきつむぎ)
         足利銘仙(あしかがめいせん)





結城紬は前回ご紹介いたしました、鬼怒川沿いの茨城県を中心に
栃木県でも織られています。→結城紬  



栃木県足利市を中心にその近辺で織られている織物を総称し、
足利織物と呼ばれており、この地域では古くから平織の絹物を
織り出し、室町時代頃には旗地として用いられていました。
しかし、足利銘仙と呼ばれる先染めの絹の平織物は
比較的歴史が浅く、明治から大正にかけてつくられたものです。
技術的な革新や人工染料の導入などを経て、大正~昭和初期には
それまでの色柄から大きな変化を持つ大胆でカラフルな絣柄の銘仙が
広く大流行しました。
またこの足利銘仙は紬より柔らかいのですが、シャリ感があり
絵画を思わせるようなモダンな柄行きが特徴です。






17:埼玉県   秩父織(ちちぶおり)
          埼玉裏絹(さいたまうらぎぬ)





秩父織は埼玉県秩父町で織られる絹織物で、秩父町は伊勢崎、足利、
八王子と並ぶ銘仙産地でした。この地方では古くから織物が盛んで
かつては「千々布」とよばれていたそうです。


埼玉裏絹は埼玉県で江戸時代から織られていた着物の裏地用の絹織物です。
特に飯能地方の織物は、古くは高麗(こうらい)絹といわれ、
江戸時代中期には生絹が染色・加工され裏地として人気を呼び、
幕末には飯能絹の名で知られていたそうです。






18:東京都   東京染小紋(とうきょうそめこもん)
          東京友禅(とうきょうゆうぜん)
          長板中形(ながいたちゅうがた)
          注染ゆかた(ちゅうせんゆかた)
          村山大島紬(むらやまおおしまつむぎ)
          多摩織(たまおり)




東京染め小紋は、東京で染められる型染め小紋の総称です。
代表的なものに「東京おしゃれ小紋」と「江戸小紋」があります。
どちらも型紙と色糊を使うのですが、東京おしゃれ小紋は
色数を控えた縞や格子などですが、江戸小紋は一色染めです。
この江戸小紋はもともと武家の裃を起源に持つ格式のある染物で、
通常の小紋がお洒落着なのに対し、江戸小紋は紋をつける事で
準礼装にも対応できます。
またこの江戸小紋という名称は、昭和30年に小宮康助さんを
重要無形文化財保持者に認定する際、他の小紋と区別するため
この名称がつけられたのです。


東京友禅は東京で染められている手描き友禅で、別名江戸友禅
とも呼ばれています。華やかな色柄の京友禅に対し、東京友禅は
渋くあっさりとした色合いが持ち味で、加工工程も各作業を
分業で行う京友禅に対し、東京友禅は一人の友禅作家が構図、
下絵、糸目置き、色挿しなどを全て行います。


長板中形は、江戸時代から続くゆかたの伝統技法で、国の
重要無形文化財に指定されています。しかし、現在ではこの
技法は高い技術を要するため、木綿のゆかた地だけでなく、
麻や絹などの織物にも使われています。
工程は6.5メートルもの長い板に生地を張り、その上に型紙をのせ
ヘラで防染用の糊を置き、裏側からも柄がぴったりと合うように糊を置きます。
その生地を染色液に浸けて表裏に同じ模様を染め抜きます。


注染ゆかたは現在もっとも一般的なゆかたの染織法で、東京だけでなく
大阪・静岡でも多く染められています。
染め方は生地の上に型紙を置いて防染の糊を置き、布をたたみ重ねます。
重ね合わせた生地の上に、再び防染用糊を置いて上から熱くした染料を
注ぎ、下から真空ポンプで吸い上げて両面に染料を通します。
伝統的な紺白のものは「一色染め」多色使いを「差し分け染め」
さらに差し分け染めを繰り返して繊細な模様を染める「細川染め」
と、工程別に様々な種類があります。


村山大島紬は、東京都武蔵村山市を中心に織られる絹織物で、
大島紬に似た風合いを持つのが特徴です。
村山大島紬の最大の特徴は、板締め注入染織法と摺り込み捺染を
併用して染められる絣糸づくりです。


多摩織は、東京都八王子市で織られる織物で、この地域は古くは
奈良時代から織物が盛んで、江戸から明治時代にかけては
絹織物の集散地として栄えました。現在の多摩織は、御召・紬・
風通・変わり綴れ織り・捩り織の五種類をさします。





…ようやく無事に(?)関東地方が終わりました^^;
それにしても、もう何度目かの全国の染織品紹介を終えつつも、
未だに日本の県の位置がビミョーな宗流。。
小学校の社会科からお勉強をしなおしたい気分です!



宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-08-13 00:54 | きもの検定について

きもの検定 全国の染織品 関東地方(茨城・千葉・群馬)





こんばんは。
早速ですが、みなさま残暑お見舞い申し上げます^^
本日は8/7日、立秋です。
昨日までの暑中お見舞いと何ら変わりがない気がしないでもないですが
それでも今日から季節は秋らしいです。
…とはいえ、まだまだ暑さは夏本番。
どうぞくれぐれも暑さによる熱中症にはお気をつけ下さいね。


さてさて。
全国の染織品シリーズも、ようやく関東までやってまいりました。
みなさんのお住まいの地域はもう出てまいりましたか?
本日は関東地域の中から、茨城県・千葉県・群馬県の三県のご紹介です。
どうぞよろしくお付き合い下さいね。



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13:茨城県  結城紬(ゆうきつむぎ)
          結城縮(ゆうきちぢみ)


結城紬は茨城県結城市を中心に、栃木県にまたがる鬼怒川沿いの
地域で織られている紬織物です。この地域は古くから紬織物が盛んで、
その紬織物は奈良時代は「常陸紬(ひたちつむぎ)」、
平安時代には「常陸絁(ひたちあしぎぬ)」と呼ばれ、この結城紬の
前身と言われています。結城紬は袋真綿から糸を紡ぎ出した手紬糸を
地機(居座機)で織り上げるのですが、この糸紡ぎ、絣括り、居座機の
三つの工程は国の重要無形文化財の指定を受けています。
またこの結城紬の特徴でもある亀甲や蚊絣の模様は、「○○亀甲」と
いう単位で表され(○○は数字が入る)、生地の一幅に織り出される
模様の数を示しています。




結城縮は主に袷用に生産される結城紬に対し、単衣用に織られた
縮織物です。糸に撚りをかけて織られた生地は、表面にシボがあらわれ、
適度なシャリ感があり、さらりとした着心地が好まれています。






14:千葉県  館山唐桟(たてやまとうざん)
          銚子縮(ちょうしちぢみ)


館山唐桟は、千葉県館山市周辺で織られる細かな縞柄の綿織物です。
この唐桟織は桟留縞(さんとめじま)とも呼ばれ、もともと原産はインドで
日本には安土桃山時代にオランダの船によりもたらされたそうです。
原産地方がインドのサントメ地方であったため、江戸時代には
「サントメ縞」と呼ばれていましたが、やがて舶来のものを示す「唐」の
文字がつき、そこから「唐サントメ」と呼ばれるようになりましたが
のちに濁音化して「とうざん」に変化したと言われています。
生地は植物染料で染めた木綿糸を使用し、織上がりに砧打ちをする事で
絹のような光沢が得られます。



銚子縮は、千葉県銚子市で織られる綿織物です。
この銚子縮は明治時代に生産が一時途絶えたのですが、
昭和20年代に常世田真次郎氏により復元されました。
綿織物ですが、糸には通常の何倍もの撚りをかけた木綿の超強撚糸を
使用しており、絹の縮と同じく織り上がった生地を湯もみすると表面に
撚りが戻って生じるシボがあらわれます。






15:群馬県  伊勢崎絣(いせさきかすり)
          桐生織(きりゅうおり)  




伊勢崎絣は、群馬県伊勢崎地方で生産される絣織物の総称で、
県の伝統的工芸品に指定されています。
もとは伊勢崎銘仙と呼ばれる絣織りから変化したのですが、この伊勢崎銘仙も
伊勢崎太織(いせさきふとおり)という厚手の絹織物が明治時代になり
伊勢崎銘仙に変化したそうです。



桐生織は、群馬県桐生市を中心にして織られている
御召・錦織・風通などの7品種の織物の総称として呼ばれています。
これらは国の伝統工芸品に指定されており「西の西陣・東の桐生」
と評されるほどの高品質な絹織物として知られています。
この桐生織の起源は1300年ほど前に遡り、現在でも帯地・着尺地ともに
高級織物として好まれ続けています。





さて。
ようやく1/3近くまで終わりましたが、まだまだ日本全国の染織品は
終わりを見そうにありません。
…しかし、10月半ばの試験まであと二カ月ほどですが、お勉強の
まとめジャンルは他にも山ほどあります。どうしよう~^^;
でも、日本の都道府県の配置の段階で毎回苦しむ宗流…
ここはどうしても何とかせねばっ!!
でも…間に合うのか、宗流!?






宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-08-08 00:26 | きもの検定について

きもの検定 全国の染織品 北信越地方(富山・石川・福井)








こんばんは。
毎日暑い日が続きますが、みなさん夏バテは大丈夫でしょうか?
夏はお陽さまの下で思い切り汗を流すのもいいのですが、
こう殺人的な暑さではクーラーの効いた部屋から
外に出たくなくなる宗流です^^;


さて。
少し間があいてしまいましたが、今回は前回お伝えしました
きもの検定 全国の染織品 北信越地方(新潟・長野)に続き
富山、石川、福井の染織品のご紹介です。
どうぞよろしくお付き合い下さいね^^




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10:富山県  城端駒絽(じょうはな駒絽)



富山県南砺市城端地方では、元禄時代頃から絹織物が盛ん
だったのですが、明治30年代頃、新潟県五泉市より技術者を招き
羽二重と絽の生産がされるようになりました。
城端地方では絽や紗の他、縮緬などの多様な絹織物が産出されており、
かつては絽と紗で全国産出量の約三割を生産していたといわれています。





11:石川県  加賀友禅(かがゆうぜん)
         牛首紬(うしくびつむぎ)
         能登上布(のとじょうふ)





加賀友禅は石川県金沢市を中心に染められている手描き友禅で、
京友禅と同じく防染糊を使用する方法が取られているものの、
華やかさが身上の京友禅に対し、加賀友禅は加賀五彩と呼ばれる
臙脂(えんじ)・藍・黄土・緑・紫(または黒)を基調にし、
北陸の自然を題材に金箔や刺繍などを施さない渋さと侘びが特徴です。
またその緻密で写実的な絵風には、木の葉に虫食いのあとを描いた
「わくらば」や花や葉の色を先に行くほど濃く染めた「先ぼかし」
など加賀友禅特有の技法が見られます。



牛首紬は石川県白山山麓、白峰山牛首地方で古くから織られていた
先染めの絹織物です。この牛首紬の最大の特徴としては、その強度が
挙げられ、生地に釘を引っかけても破れるどころか、生地を引っ張ると
その釘が抜けるほど丈夫な事から「釘抜き紬」との別名があるほどです。
この織物は、二頭の蚕が一つの繭を作る「玉繭」を煮て、座繰りから
直接引いた糸で織られています。また織上がった生地は縞や格子などの
落ち着いた柄が多く見られ、その艶やかな風合いも魅力の一つです。



能登上布は石川県鹿島郡中能登町を中心に古くから織られている麻織物です。
この上布はラミー(苧麻)を原料に織られており、色柄遣いも控え目ながら
夏用の高級着尺として知られています。この能登上布の模様の多くは、
「蚊絣」と呼ばれる細かな十字模様を基調に織られており、絣糸つくりの技法は
約1200本もの糸を並べ、そこに染料を染み込ませた櫛形の板を押しつけて
絣糸を染める「櫛押し捺染」などが使用されています。また昭和三十年代には
県の無形文化財に指定されました。





12:福井県  福井羽二重(ふくいはぶたえ)
        春江縮緬(はるえちりめん)




福井羽二重は天然の布海苔(ふのり)で糊付けした経糸に、水で湿らせた
緯糸を強く打ち込んでいく「ぬれよこ」という技法で織られており、
その撚りのない平織の生地は、腰がある上に柔らかな風合いが特徴で
着物の裏地・八掛などに多く使われています。



春江縮緬は福井県坂井市春江町で生産される縮緬織物です。
福井県は古くから織物の盛んな地域でしたが、現在は絹織物に限らず
化学繊維などの織物でも日本有数の県として知られています。
(↑ スミマセン^^; 随分いろいろ調べたのですが、
春江縮緬の詳しい事は不明でした。勉強不足ですね~!)






宗流



   
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by sou-ryu_mame | 2010-08-06 00:20 | きもの検定について

きもの検定 全国の染織品 北信越地方(新潟・長野)



こんばんは。
前回は全国の染織品シリーズの北海道~東北地方を  
お伝えいたしました。
今回は北信越地方の染織品をご紹介いたします^^




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8:新潟県  十日町絣(とおかまちかすり)
        十日町明石縮(とおかまちあかしちぢみ)
        小千谷紬(おぢやつむぎ)
        小千谷縮(おぢやちぢみ)
        越後上布(えちごじょうふ)
        塩沢紬(しおざわつむぎ)
        本塩沢(ほんしおざわ)
        五泉駒絽・羽二重(ごせんこまろ・はぶたえ)
        十日町友禅(とおかまちゆうぜん)


      


十日町絣は、新潟県十日町周辺で織られる先染めの平絹織物です。
この十日町絣の条件を満たすものは、1、先染めの平織である事。
2、経緯糸ともに絣糸を用いる事。3、絣糸を手作業で絣柄を
織り出す事。4、絣糸の染織は手くびりか擦り込みによる事。
などの厳しい基準が設けられています。


十日町明石縮は新潟県十日町で織られる絹織物です。
新潟県で明石の名前がつく由来として、兵庫県の明石市にルーツを持ち、
経糸に練糸を、緯糸に強撚糸を用いて織った平織の生地を
湯の中でもんで縮特有のしぼを生みます。
この十日町明石縮は、伝統的工芸品に指定されています。


小千谷紬は新潟県小千谷市で織られている絹織物で、伝統的工芸品に
指定されています。原料に玉糸と真綿の手紬糸を使用し、縞や絣柄、
無地紬などが織られており、この絣柄は緯糸のみで模様をあらわす
緯総絣(よこそうかすり)という技術が用いられています。


小千谷縮は新潟県小千谷市で織られている麻の縮織りで、
緯糸に強撚糸を使い、織面に「しぼ」を出した麻縮です。
国の重要無形文化財に指定されているのですが
重要無形文化財に指定されている小千谷縮は苧麻の手績み糸を
地機で織り上げるのに対し、紡績した麻のラミー糸を用いた小千谷縮は
伝統的工芸品に指定されています。


越後上布は新潟県南魚沼市で織られる夏用の平織の麻織物です。
重要無形文化財に指定されている越後上布は、苧麻の手績み糸に
手くびりで絣柄をつけ、地機で織るものに限られています。
また白地の上布を雪の上に晒してオゾンで漂白する作業は
雪晒しと呼ばれています。


塩沢紬は新潟県塩沢地方で織られる絹織物で、伝統的工芸品に指定されています。
塩沢紬は経糸に生糸か玉糸、緯糸に真綿の手紬糸を用い手織されます。
この織物は細かな十字絣や亀甲絣が特徴で、色遣いも控え目な
藍・黒・白等が基調となっており、男性用の着尺としても人気があります。


本塩沢は別名塩沢御召とも呼ばれ、経糸緯糸ともに生糸の御召糸を
使って織られる絹織物です。この本塩沢は越後縮(越後上布の前身)
のようなしぼのある麻織物の技術を絹に生かしたものだといわれており、
しぼを生かした独特のシャリ感が持ち味です。


新潟県五泉市では、滋賀県長浜・京都府丹後地方とともに白生地の
三大産地として知られ、中でも五泉の駒絽は日本一の生産量を誇っています。
またこの地域で織られる白生地(羽二重)は、緯糸を水でぬらして織る事で
密度の高い上質な生地が生まれます。


新潟県は縮や紬、絣の産地として知られていますが、十日町地方では
昭和30年代から京都の友禅染の技術を導入し、40年代に入り
十日町友禅が完成しました。この十日町で染められた友禅は、振袖のほか
留袖や訪問着など多くの着物が染められています。






9:長野県  信州紬(しんしゅうつむぎ)
        上田紬(うえだつむぎ)
        飯田紬(いいだつむぎ)
        伊那紬(いなつむぎ)
        松本紬(まつもとつむぎ)
        みさやま紬(みさやまつむぎ)
        信州友禅(しんしゅうゆうぜん)



信州紬は信州で織られる上田紬、飯田紬、伊那紬、松本紬などを総称して
そう呼びます。信州紬には3つの条件があり、1、経糸に手紡ぎ糸、生糸、
玉糸、山繭糸のいずれかを使う。2、緯糸に玉糸か真綿の紡ぎ糸を使い、
手投げ杼(ひ)で織り上げる。3、絣柄は手くくりによる。この3つを
満たしたものを信州紬と呼び、伝統的工芸品に指定されています。


上田紬は長野県上田市を中心に織られる紬で、大島・結城と並び、
三大紬とも呼ばれ、打ちこみが強くしっかりとした生地が特徴で
裏地を三度変えるほど丈夫な事から「三裏縞(みうらじま)」の
別名があります。縞や格子柄が特徴で、経糸に絹糸、緯糸に
手紡ぎ糸を用います。


飯田紬は長野県飯田市周辺で織られる紬で、飯田格子という呼び名
があるように、素朴な格子柄が特徴です。打ちこみの強いしゃきっと
した風合いが持ち味です。


伊那紬は長野県の伊那地方で織られる紬で、糸に玉糸・真綿糸・天蚕糸に
撚りをかけたものを用います。山野に自生する木々や植物から染料を
抽出し、様々な媒染剤を用いて作られた色で染められた糸で織られた
生地は、柔らかくしっとりとした風合いを持っています。


松本紬は長野県松本市および安曇野地方で織られた紬生地で、
経緯糸に手紡ぎの糸を使って織られます。また松本紬には山繭
(天蚕と呼ばれる野生の蚕)からとった糸で織られたものもあり、
これは山繭紬と呼ばれています。


みさやま紬は、長野県松本市三才山周辺で織られる紬です。
このみさやま紬は山野に自生する草木(栗や桜、山くるみなど)で染めた
糸を用い、経糸には生糸、緯糸には真綿の紬糸を使って織り上げます。


信州友禅は「信州草木染め友禅」ともいい、自然界に自生する草木を
染料にし、様々な媒染剤で発色させた染料を混ぜ合わせて色を作る友禅染です。





…本日は新潟県、長野県以外に石川県や富山県などの染織品を
ご紹介する予定でしたが、両県の染織品がことのほか多いため、
二県以外の染織品は次回のご紹介とさせていただきます。





宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-07-28 01:38 | きもの検定について

きもの検定 全国の染織品 北海道・東北地方





こんばんは。
前回まで「きものの歴史」をお送りいたしておりましたが、
今回からは新しいシリーズ、全国の染織品シリーズを開始いたします^^
第一回目、北は北海道~東北地方です。



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1:北海道 優佳良織(ゆうからおり)


北海道の雄大な自然をモチーフにした、色彩豊かな織物です。
この優佳良織は比較的新しい織物で、昭和30年代後半に生まれました。
素材となるのは主に羊毛で、これに絹や木綿が組み合わされます。
この織物の特徴としては色彩豊かな色を混ぜ合わせて紡がれる糸づくりです。
そしてその糸を使って織り上がった布は、素朴な雰囲気と
優しい色遣いを持ち合わせており、一見すると油絵のようにも見えるのが特色です。





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2:青森県 津軽刺子(つがるさしこ)
       南部裂織(なんぶさきおり)
       南部菱刺(なんぶひざし)



津軽刺子は、青森県弘前市を中心にした津軽一帯で作られており、
もともとは布の強度を増すための技法で、重ねた布に細かく
刺し縫いを施したもので、津軽こぎん刺しとも呼ばれます。
四つ豆こ、くつわ繋ぎ、井桁など地域ごとに大まかに3つに分類され
現在では精緻かつモダンな作品が作られています。

南部裂織は、江戸時代中期に南部盛岡藩が古くなった布の再生を
奨励した事から生まれた再生織物の技法で、経糸に麻糸や木綿糸を
緯糸に古くなった木綿を裂いたものを糸にして織り上げます。
もとは丈夫な労働着として重宝されましたが、現在では帯などの
美しい織物として確立されています。

南部菱刺は、こぎん刺しと同じく布に糸で模様を刺したものですが、
津軽のものと異なる点に、津軽刺子は柄による多様性を表現していますが
この南部菱刺は、色糸による多様性があります。また模様は全て菱型の
単位模様で、この大小の菱を組み合わせる事で大きな集合模様
(梅の花・そろばん玉・矢羽根など)を表しています。





3:秋田県 天鷺ぜんまい紬(あまさぎぜんまいつむぎ)
       秋田八丈(あきたはちじょう)
       秋田畝織(あきたうねおり)




秋田県岩城町で織られる、ぜんまいの綿毛を使った織物です。
食用にもされるぜんまいの綿毛を紡ぎ、草木染めして糸が作られるのですが
この「天鷺」と呼ばれるのは、ぜんまいの糸に鳥の羽根がまぜられているためで
緯糸にこうした糸が織り込まれる事で、白くふんわりとした独特の温もりをもつ
織物になるのです。


秋田八丈は「黄八丈」と同じく黄や鳶色、黒地に縞や格子の柄を織り出した絹織物ですが
秋田八丈は浜茄子の根の色素から鳶色を染めており、それによって独特の赤茶色が
得られています。


秋田畝織は横に畝の模様が織り出された絹織物で、美しい光沢とシャリ感が特徴です。
しかし、江戸時代後期生まれたこの織物は大正時代に一度途絶え、戦後再び復元
されたものの、現在は操業を停止しています。





4:岩手県 南部紫根染(なんぶしこんぞめ)
       南部茜染(なんぶあかねぞめ)




岩手県南部地方で古くから染められてきた南部紫根染は、紫草という植物の
根から抽出した染料で染める染めものです。
この紫草は「万葉集」や「古今和歌集」にもその名が登場するほど
古くから染料として使われてきたものです。


南部茜染は茜草の根から抽出した染料で染めます。
また紫根染、茜染が「南部絞り」という別称で呼ばれるように、その多くは
少量の無地染めを除いて、板締めや縫い締めなどによる絞り染めが施されます。






5:山形県 置賜紬(おいたまつむぎ)
       米沢紬(よねざわつむぎ)
       長井紬(ながいつむぎ)
       米琉(よねりゅう)
       白鷹御召(しろたかおめし)
       科布(しなぬの)
       紅花染(べにばなぞめ)




置賜紬は、山形県米沢市、長井市、白鷹町を中心に生産される織物の総称です。
江戸中期、米沢藩主の上杉鷹山が養蚕・織物を奨励した事により、
この地域は一大織物産地となりました。


米沢紬は紅花の産地でも有名な米沢周辺で織られた紬で、特に紅花紬は有名です。
またそれ以外にも藍や刈安などの植物染による素朴な味わいの織物があります。


長井紬は緯絣、経緯絣で織られた絣模様が多く見られる織物です。
また経糸に生糸、緯糸には真綿糸や玉糸が用いられるのも特徴です。


米琉は、その品質が沖縄の琉球絣に似ている事から、「米沢琉球」が略され
米琉と呼ばれるようになった絹織物です。絣柄が特徴で、井桁や鳥の模様を
配したものには、その名の通り琉球織物の影響が色濃く見られます。


白鷹御召は、山形県白鷹町で織られている板締めによる経緯絣の絹織物です。
また板締めによる絣括りと共に、染め船という台に乗せ熱した染料をそそぐ
「ぶっかけ染め」も特徴の一つです。織り上がった生地の表面には強撚糸による
鬼しぼと呼ばれる凹凸ができ、独特のシャリ感を持っています。


科布は科の木や菩提樹から取った樹皮を繊維にして織った布をいいます。
多くは帯等に織り上げられますが、樹皮の繊維糸は独特の手触りと味わいを
持ち、当初は硬く感じますが使い続けるうちに柔らかく馴染むようになります。


紅花染めは紅染めとも呼ばれ、茜染めに次ぐ古くからの染織技法です。
この紅花染めは紅花を用いて行われますが、この花からは花びらに含まれる
黄色の色素から染められる黄染めと、紅花の花びらから黄の色素を取り除き
残った赤の色素を酸化発行して染められる紅染めがあります。






6:宮城県 精好仙台平(せいごうせんだいひら)
       栗駒正藍染(くりこましょうあいぞめ)




精好仙台平は、宮城県仙台地方で織られる男性用の高級袴地です。
仙台平の中でも経糸を二本引きそろえて、緯糸に撚りのない生糸を
濡らして強く織り込んだものを精好仙台平と呼んでいます。


栗駒正藍染は宮城県の栗駒町に伝わる古くからの染織法です。
この正藍染めは奈良時代に行われていたという技法で、藍を大甕に入れ
自然発酵させて染めるのですが、この方法は人工的に甕を加温して染める
方法と異なり、夏の間の二か月しか染める事ができません。






7:福島県 会津木綿(あいづもめん)
       会津からむし織(あいづからむしおり)

 


会津木綿は福島県会津若松市で江戸時代から織られている木綿織物です。
素朴な縞柄に特徴があり、本来は藍染めのものが定番でしたが、現在では
化学染料による様々な色の縞柄が織られています。


会津からむし織は、会津上布ともよばれる麻織物です。
からむし織の原料となる苧麻はイラクサ科の宿根性多年草木の白葉種で
「からむし」「しなあさ」とも呼ばれます。この白葉種による苧麻の糸は
強靭かつ光沢に富んでおり、ここから織られたからむし織は薄くて軽い
最上の麻織物とされています。




次回は信越・北陸地方の染織品をご紹介いたします^^




宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-07-27 02:24 | きもの検定について

きもの検定 きものの歴史 その7




きものの世界だけに限らず、日本文化において
広い階層の人々に様々な日本文化が浸透した江戸時代。
鎖国の影響で独自の国文化様式が発展し、
武家だけにとどまらず、商人・町人の中からも
それらは芸術、文化として後世に継承する動きが見られ
そして今も日本の伝統文化として培われ続けています。

本日はそんな江戸時代後、明治・大正~における
比較的近代のお話に入ります。



きものの歴史 その6



日本の衣服史の中で、今現在のきものの形にほぼ近くなった江戸時代。
今も私たちの生活の中にある振袖や羽織など、この時代に一般的に
なったものも数多くあります。

しかし、江戸幕府が終焉を迎えたのを機に廃止されたものもありました。
それが前回お伝えした武士の裃(かみしも)です。
それまで武家の礼装として続いていたのですが、
明治時代になり武家社会の終わりと共に廃止されたのです。
その裃に変わり、一般の礼装着となったのが黒紋付の羽織袴です。
いまも結婚式などの晴れの場で見る事ができるお馴染みのものですね。
そして女性の礼装着としては留袖が第一礼装となりました。
(未婚女性の第一礼装は振袖です)
これも現代の礼装と同じです。


また、明治時代は近代日本における産業育成という名目で
様々な分野においての機械化の動きが活発化していきました。
それはきものの分野においても画期的な成果をおさめます。

それまでの機織り(織機)といえば、人の手によるものが主流でしたが、
明治時代に入りヨーロッパからジャカード機が導入され、
紋織物などの技術、生産性ともに飛躍的に活性化しました。
そのため絹織物の価格も安定し、
供給の面でもそれ以前の綿や麻を使用していた庶民階層にも
広く行き渡るようになったのです。

そして供給面が安定した事により、それまで天然染料に頼っていた染色にも
変化が見られるようになります。
化学染料の使用です。それにより以前は手間のかかる天然の染材料を使用した
ものから、安価かつ大量に同等製品を量産する事に成功したのです。
この成果は一方で、伝統的な手法が廃れゆく一因となり得たのですが
生産や品質の安定化としては大きな成果を果たした事でしょうね。
しかしその一方で、明治後半から大正にかけて
御召や銘仙、絣・紬といった日本の伝統産業といわれるような染織品に
近代的な感覚を加わったものが発展して行きます。
いま私たちがレトロモダンとして馴染んでいる銘仙の柄などは
この時代に人気を博したもので、確かにそれまでのものとは
少し雰囲気が違いますね。いまでこそレトロ、なんて言ってますけれど
きっと当時の女性たちにとっては大層モダンだったのでは、と思います。



また明治・大正時代は国として大きな変化を見ただけでなく
一般庶民の生活様式にも変化を与えました。
その一つが女性の学業参加です。
それまでの子女はいわゆる学校での学業に専念する機会が少なかったのですが
この時代になると女子のための女学校も多く設立されるようになりました。
その女学生たちのための制服として流行したものが袴(はかま)でした。
これはいまでも大学などの卒業式でよく見られますよね。
宗流も学校の卒業式に着用しました^^


そして、いわゆる「きもの」にも変化が見られるようになります。
その代表として挙げられるのがなごや帯です。
これは大正時代に入る頃、当時の名古屋女学校の創設者、塚原春子さんが
服装改良運動の一環として、前帯を半幅に仕立てた締めやすい帯を考案したものです。
これは今もお洒落着や一部略礼装の帯として使われ続けています。
また今で言う準礼装の訪問着も、大正時代に確立されます。
明治時代までは小紋に紋を一つつけたものを、訪問着として着用していましたが
現在のような柄つけで、袋帯を締めて着用するようになったのは
大正時代になってからだと言われています。



しかし、生活の欧米式が顕著になる事で
徐々に生活の中の衣服は、和装から洋装へと変化していきました。
また女性の社会進出が盛んになる事で、
ますますそれに拍車がかかったのでしょうね。
和装はそれまで日常の衣服として普通のものであったものが
年代を重ねるにしたがって、特別な日のものといったものとして
変化していったのです。




さて。
ざっと駆け足で近世までの和装の変遷を見てまいりましたが。
きものの歴史としては今回が最終のお話となります。
長かったですね^^; 歴史が苦手な宗流としては、
毎回毎回がちょっとした苦行でしたね~。

しかし、苦手分野はこれだけにとどまりません!
次回からは、日本全国の染織品のご紹介に入ります。
…歴史だけに限らず、地理も苦手な宗流。
毎年の事ですが、日本全国の県の配置すら今も定かではない状態!
どうぞ温かい目で次回からもお付き合い下さいますよう
よろしくお願いいたします^^




宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-07-25 19:26 | きもの検定について

きもの検定 きものの歴史 その6




鎌倉~安土桃山時代を経て、きものの歴史も
いよいよ江戸時代まで進んでまいりました。
250年以上続くこの時代は、衣服史の中でも
様々なものが生まれ、そして廃れ、今日のきものという文化への
直接的な発展が見られます。

またこの時代は文化や文様、帯・織物にも多くのものが
流行を見るのですが、今回はざっと流れをご覧いただき、
それぞれのものについてはまた改めて別のお話の中で
詳しく見てまいりたいと思います^^



←きものの歴史 その5



安土桃山時代で衣服の中心的な役割を担うようになった小袖は、
江戸時代に入ると、さらにその意匠を凝らすようになりました。
しかし、それは実質的には武家の世界のお話ではありません。
日本では古くから衣服による身分や社会的地位の区分があり、
その区分は江戸時代を迎えても、身分制度を維持するという
観点から、武家の世界ではそれほど大きな変遷を見る事はありませんでした。


これに対して、いわゆる「奥」の世界に身を置く武家女性たちは
比較的自由に変化を楽しむ事ができたようです。
江戸時代初期は絞り染めや刺繍などが中心となった小袖は
海外貿易による染物(更紗など)や、小袖そのものに絵を描くように
柄行きを描いてゆく友禅染の技法が確立され、小袖の世界は
更に彩りを増してゆきました。
素材に関しても、唐織や金襴など織の技術も発達し、
現在存在する染めや織の多くがこの時代に見られるようになります。

また、この時代の大奥など身分の高い女性の衣装をTVなどで目にすると、
豪華な打ち掛けを羽織った様子を見る事があります。
この表衣の上に外衣を羽織り、裾を長く引く様式は
この時代になって定着したものです。

それと同時に、高い身分の武家女性、裕福な町人女性が贅を凝らした
小袖の衣装に相応しく帯の幅も広くなり、丸帯という帯が生まれ
それに伴って模様付けも袖や裾中心にバリエーションが見られるようになりました。
ちなみにこの時代の豪華な小袖は、いまも国立博物館などで
目にする事ができるのですが、これらの美意識の高さや
意匠の表現力の豊かさには驚かされます。

しかし、そうしたお洒落を楽しんでいたのは
何も裕福な生活を送っていた女性たちばかりではありません。
江戸時代は、町人を始めとした文化が花開いた時代でもあります。
以前は簡素な小袖を纏っていた一般の女性たちも
時代と共に様々な流行を追いかけるようになるのです。
この時代のお洒落のファッションリーダーとなったのは、
歌舞伎役者や遊女たちでした。
女形の彼ら、そして粋を売りにする彼女たちは、
帯の結び方や文様などの流行を生んでゆくのです。



一方、この時代の武家男性の特筆すべき衣装に、
肩衣と袴からなる裃(かみしも)が登場します。
これは江戸時代以前の礼装である素襖(すおう)
の袖を切り取った形のもので、江戸時代はこれを正装として用いられました。
また今現在もその形が残されるものに、羽織があります。
この羽織が生まれたのも江戸時代で、もともとの起源は
安土桃山時代の武家が野外や馬上で用いた胴服なのですが、
この羽織はやがて下級武士や町人が裃の代わりに礼装用として
袴と共に用いられるようになりました。


ざっと駆け足で江戸時代の衣装の様相に触れましたが
小袖が現在のきものの形とあまり相違なくなったものの、
当初から今のような着装方法であったという訳でもありませんでした。
例えば、いま私たちがきものを着用する際に使用する和装小物、
帯揚げ・帯締めが使われるようになったのは
江戸時代の後期と言われています。



また余談となりますが、きものを着用される女性でしたらよくご存じの
「おはしょり」もこの時代にはまだなく、
実際にその方法が取られるようになったのは明治時代でした。
おはしょりは着物の裾を長く引き摺らないよう、
腰のあたりできものをたくしあげて着装するための方法ですが
江戸中期、打ち掛けを着用していた女性たちは室内では裾を長く引いていたため
外出の際には歩行しやすいよう裾をからげて、抱え帯(かかえおび)という
帯を締めていたのですが、現在この時代の様子を映し出したTV等では
あまり見られません。

時代を忠実に描いたものでも、やはりきもののイメージや
見た目の問題でそうなってしまうのでしょうかね。
ちょっとした事なのですが、そんな風な視点から時代劇を見てみると
意外な発見などができ、違う面白さを味わえたりするものです^^



→きものの歴史 その7へ続く






宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-07-22 23:32 | きもの検定について

きもの検定 きものの歴史 その5




前回までは平安時代の衣装を簡単にお伝えしました。
今回からはそれまでの貴族中心の世から、武家の力が増してゆく
鎌倉から安土桃山時代のお話に入ります。




きものの歴史 その4



…実は宗流、衣服史の中でこの時代が何より苦手です^^;
(と、いうより歴史は全般的に苦手です!)
ですから、少しお話が解りづらい箇所もあるかと思いますが
どうぞひろーい心でご覧頂けますと有難く思います!



まずは男性の衣装から見てみましょう。
貴族が栄華を誇った時代は過ぎ去り、やがて時代は武家中心の
世へと移り変わってゆきました。
また衣服の中にもその移り変わりは顕著に表れており、
特に男性のものは、それまでの国風文化の強い優雅なスタイルから、
機能性と権力の誇示を兼ね備えた衣服が生まれました。

武士たちはそれまでの公家の堅苦しい衣服から、
次第に行動的な衣服を公的なものへと変えていきます。
それが直垂(ひたたれ)、素襖(すおう)と呼ばれるものです。
これらが公家風の衣装と大きく異なる点に、首周りの形が挙げられます。
公家の衣装は、詰襟風の盤領(あげくび)だったのに対し
直垂や素襖は垂盤(たりくび)と呼ばれる、
着物の前合わせのような形をしていました。

そして、着装の見た目にも変化が見られます。
それまでの袍(ほう)を着用する着装では、袴の上に上衣を出していたものが
直垂は裾を袴の中に入れて着用します。
この着装方法も、貴族社会の雅やかなものから、
政治の中心となり、また時には戦も辞さないという
武家社会の在り方を反映しているとも言えるそうです。

「婆裟羅(ばさら)」と称されるものも、この武家社会から生まれました。
これは武士たちが胴服(元来は乗馬の際などに埃よけとして用いられる)や
小袖に吉祥文様などの豪華な模様を施したもので、
彼らはそれを競い合うように身につけるようになりました。



またそれまでの時代にはあまり重きが置かれなかったものが
表にあらわれるようになります。それが小袖(こそで)の存在です。
貴族の装束の下着であったり、庶民の日常着、武家の平常着だった小袖は
この頃から様々な変化の様相を見せるのです。
小袖は、この時代以前の衣装としては最下位の扱いを受けてきましたが
やがてその表面に摺り絵や絞り染めなど、
多様な装飾が施されるようになりました。
庶民の衣服としては、それまでの麻の簡素なものとあまり変化はありませんが
武家社会の小袖には素材に絹が用いられ、文様にも贅が凝らされました。


一方、女性たちの衣装にも変化が見られました。
当時の武家女性たちも、それ以前と同じく重ね着をしていたのですが、
平安時代の袿(うちぎ)のように袖の広く長いものではありません。
袖丈や袖口を縫いとめた、小袖を数枚重ねてその上
小袖と同じ形の打掛(うちかけ)を羽織って略式の礼装としていました。
これは現在でも婚礼衣装として目にする機会が多いかもしれませんね。


また安土桃山時代頃になると、外出時女性たちは小袖を着用し
頭の上から小袖の単衣を頭に被るようになります。
TVのドラマなどでも時折このような様子を目にする事がありますが
これは被衣(かつぎ)と呼ばれています。


このように、鎌倉~安土桃山時代にかけては
それまで目立つ事のなかった小袖が、男女ともに衣服の中心となってきました。
そしてこの小袖は、桃山時代以降もきものという衣服の中心的役割を担い、
その後も発展を遂げていくのです。




きものの歴史 その6へ続く





宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-07-21 23:22 | きもの検定について

きもの検定 きものの歴史 その4




前回は平安時代の貴族の装束のあらましについてお話しましたが
今回は色や重ね着についてのお話をお伝えいたします。


きものの歴史 その3


まずは男性の束帯(そくたい)についてのお話です。
束帯は平安時代以降、天皇以下公家の正装をいいます。
文字だけでお伝えするのはとても難しいのですが、
雰囲気で言えば、映画の陰陽師や源氏物語などに登場する
男性の衣装と言えばいいでしょうか。
(↑スミマセン、表現力がありません)

ざっくり言えば、下着となる袖口の小さな着物(小袖)の上に、
袴を二枚重ねて履き(大口袴と表袴)、着物を重ね着し
(単(ひとえ)・袙(あこめ)・下襲(したがさね)・半臂(はんぴ)・袍(ほう))
それを石のついたベルト状のもの(石帯)で結んで着るというものです。
…ですが、それを説明するのは大変なので、→wikipediaのこちらでお許し下さい^^;


さて。いよいよ本日の本題の十二単の色・重ね着についてのお話です。
日本には四季折々の花が咲き、自然の中にもそれぞれの
四季の彩りを見る事ができます。
春の桜、秋の紅葉、冬の雪景色、それらに現代の私たちが感動を覚えるように
古代の人々もまたそれに心を惹かれ、その色彩を衣服にうまく取り入れていました。
その色の取り合わせが、「襲色目(かさねのいろめ)」です。

私たちが春といえば桜の薄桃色、若葉の黄緑色、菜の花の黄色
という色たちをイメージするのと同じで、当時の人々もまた
色によって季節感を演出するという事をとても大切にしていました。
襲色目はそれぞれその季節を表す色を組み合わせたものですが
構成する古代色の一つ一つに名前があるだけでなく、色の組み合わせ方にも
季節を表す名前をつけていたのです。

例えば、初夏の水辺に美しく咲く菖蒲の色を表す色は
青・薄青・白・紅梅・淡紅梅・白といった色を組み合わせます。
組み合わせの中の青や紅梅といった名称は、それぞれの色を指し、
これは青や白の菖蒲の花、紅梅色で菖蒲の根を表しているそうです。
この数色の組み合わせ=襲色目を「菖蒲」と呼んでいるのです。

そして、こうした組み合わせは幾通りも存在しており、
それぞれが四季の風景や心象を表す名称を持っています。


ところで、なぜこうした色の組み合わせが必要になってくるかと言いますと、
十二単の様子を思い浮かべてみて下さい。
女性が数枚の着物を、幾重にも重ね着していますよね。
これは肌着となる小袖の上に、袴を履き、単(ひとえ)を重ね、
その上に袿(うちぎ)を数枚重ね着し、表着(おもてぎ)を重ね、
唐衣(からぎぬ)、裳(も)をつけるという構造なのですが
(季節や時代によって袿を重ねる枚数は変わります)
この時代の貴族の女性たちの着物は、袖の長さが上に重なるほど短く、
袖口の部分に下に重ねて着た着物の袖口が見えるようになっています。
彼女たちはそこに四季を表わす色彩を重ね、季節感を演出していたのです。

またこの組み合わせは着物を重ねた時だけに限らず、
着物の表地と裏地の色の取り合わせにも使われていました。


目に見えて一つの色で季節を表すことは比較的容易ですが、
こうした色の重なり具合で四季を表すことは、
なかなか容易ではありません。
自然に対してのイメージを捉える感受性や、それを言葉にする表現力、
そうしたものに当時の人々はとても繊細な目や心を持っていたのでしょうね。
奥ゆかしいというか、そうしたセンスの良さをあからさまにしない、
密やかな美といった雰囲気が感じられるような気がします。


ちなみに、余談となりますがこの時代の皇族・貴族の装束の着装を
衣紋道(えもんどう)といい、源有仁という人物が確立したと言われてます。
その中での流派に、高倉流と山科流という二つの流派があり、
私たちが何かの折に映像や写真で目にする装束は
そのどちらかの流派によるものです。
そして驚く事に、十二単を着装する際は、紐一本で着付けているとの事。
季節や重ねる着物の枚数により異なるそうですが、
約7~8kg以上、時には10kgを超え15kg近くなる重く豪華な衣装を
紐一本で支えているなんてすごいものです^^;




きものの歴史 その5へ続く




宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-07-19 17:48 | きもの検定について

きもの検定 きものの歴史 その3



前回は、飛鳥・奈良時代までのきものの歴史をお伝えいたしました、
今回はその続き、平安時代のお話です。

きものの歴史 その2


日本の地において、大陸の文化が大きく影響を与えた奈良時代、
その後平安時代に入っても、しばらくの間は前時代の流れが
続いていたのですが、やがて大きな変化を見るようになります。
それは、日本の国風文化の発達です。

平安時代中期まで、日本は中国の文化に多大な影響を受けていたのですが
菅原道真によって遣唐使が廃止されたのを契機に、
大陸式の文化に変わり、日本独自の文化が花開いたのです。
またそれは衣服に関しても同じ事がうかがえます。



平安時代といって、まず最初にイメージで浮かぶのは
貴族の女性が身に纏う、十二単を始めとする女房装束
仰る方も多くいらっしゃることでしょう。
この平安時代は日本の衣服史の中でも、華やかさと
色彩の豊富さでは比類なきものといえるかもしれません。
美しい姫君が纏う十二単は、彩り豊かな色彩イメージを
今も私たちに与えてくれます。

また奈良時代の大陸文化は日本の衣服史に大きな影響を与えましたが
次世代の国風文化にも、引き続き受け継がれたものがあります。
それは、労働に従事しない身分の高いものは、
活動的でない衣服を着用する事がよしとされる概念でした。
そのため、日本独自の衣装である貴族女性の十二単や、
男性の束帯にも、ゆったりとした身幅や丈のものが採用されたのです。
特に女性の十二単などはその最たるものなのでしょうね。
何しろ、あれほど裾を長く引いた衣装で活動的になんて
とても動けそうにありませんもの^^;



この時代の衣装(装束)をざっと見てみますと…
まず男性の装束は、礼服(天皇の即位式等に用いられる)
文官束帯(天皇・文官・位の高い武官の装束)、
武官束帯(四位以下の武官の装束)、衣冠(男性の略礼装)
直衣(のうし)(天皇、皇太子、親王、公家の普段着)
狩衣(かりぎぬ)(公家の普段着)
水干(すいかん)(下級官吏・地方武士・庶民の平服であったが
後に武家の礼服となる)

女性の場合は
礼服(天皇の即位式に出席する女官の衣装)
十二単(位の高い女性の着用する衣装)、
(うちき)(十二単ほど格式張らず、平服より改まった衣装)


…といったものが挙げられます。
これらは主に上流階級や役人といった人々のものですが、
何だか文字から見るだけでも、堅苦しい気がします。
まぁ気軽・身軽でない事がよしとされるのですから、仕方ありません。。
そう思えば、女性たちの衣装がこうした活動的でないものだからこそ
内なる感覚が鋭敏となり、源氏物語や枕草子などの、
女流作家による作品が多く生まれたのかもしれませんね。



そして、この上流階級の衣装が表す日本的文化の真骨頂として
色や重ね着の妙があります。
ですが、これはまた少し長いお話となりますので、
こちらは次のその4にて触れてみたいと思います。
それでは、今日はこの辺りで…。



きものの歴史 その4へ続く




宗流
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by sou-ryu_mame | 2010-07-19 10:08 | きもの検定について

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