宗流がお届けする小さな豆知識。
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きもの検定 古代色について


こんにちは。
本日は祝日!本来は国民が色々な行事のもとになった出来事に
感謝してお祝いする日なのですが…
不遜にも宗流、休日に感謝している有様です^^;
でも、せっかくの祝日。しっかりお勉強できる事に感謝しなくちゃ!



さて。駆け足でおさらいをしてまいりました検定のお勉強ですが
そろそろ何をすればよいのやら、頭を悩ましている宗流。
まだまだお勉強すべきところはたくさんあるのですが、ちょっと煮詰まり気味…。
こんな時は、ちょっと息抜きに自分の好きな分野をおさらいです^^
本日は「日本の伝統色」のお話です。
色は無数にありますが、その中でも古の日本人が愛でてきた伝統色のご紹介です。
どうぞよろしくお付き合い下さいね。


とはいえ、古代色にも膨大な種類があり、ご紹介できるのにも限度があります^^;
またその色を得る色素も、植物に由来する植物染料、動物の持つ部位から得られる
動物染料、鉱物などから得られる顔料などさまざまなものがあります。そして現代では
化学的に作られた化学染料などもあり、さらに色のもつバリエーションは多数に上ります。
今回は大まかな色系統に分類し、その中の幾つかの古代色の名称と染材をご紹介させて
頂きます!

まずはこれから。



「赤」の系統


赤は私たちの生活や人体にも大きく関わりを持ち、太陽や火・血液の色など、
「生」のイメージを強く与える色です。


紅色(べにいろ) 少し黄がかった鮮やかな赤

紅といえば、紅花が浮かぶ方もいらっしゃるかもしれません。
赤の色素を得るのに、紅花はとても多く用いられています。
しかし、この花に含まれる色素の多くは黄色の色素(サフロールイエロー)で、
微量の赤色の色素(カルタミン)を得るために、アルカリ性の灰汁でさらして黄色の色素を
洗い流し、残った赤の色素で赤を染めます。その際に酸性の強い烏梅の燻製を加え、
酸媒染によって染め上げます。


猩々緋(しょうじょうひ) 鮮やかなわずかに黄がかった赤

赤の色素を得るのは、植物性の染材だけではありません。
この猩々緋は、コチニール(コチニールカイガラムシ)という虫を乾燥させ、熱水につけて
赤の色素を得ています。この色素は染色だけに限らず、食品にも使用されています。
また、熱や水に対しては安定した赤の色素が得られるものの、ph度によって色調が変わり
アルカリ性が強いと赤紫系に、酸性が強いとオレンジ系の色素へと変化します。


茜色(あかねいろ) やや鈍い暗めの赤色

茜色の空というように、暮れかけた暗めの赤色を茜色といいます。
この茜色の色素を得るのは、茜草という植物の根を用います。日本では古くから岩手県で
茜草を使った南部茜染が有名で、この色素は灰汁を用いたアルカリ媒染のよって得られます。


蘇芳色(すおういろ) 紫がかった暗めの赤

蘇芳はマメ科の植物・蘇芳の樹皮を煮出して得られる色素です。
この蘇芳から得た赤の色素を媒染して染めるのですが、媒染材によりアルカリ性の灰汁では
紫がかった赤に、酸性による明礬媒染では紅赤に、鉄媒染では黒ずんだ紫になります。


この他の赤系統の色として、紅梅色(こうばいいろ)・退紅(あらぞめ)
・韓紅花(からくれない)・甚三紅(じんざもみ)などがあります。





「黄」の系統


黄色はそのものだけでも存在感のある色彩ですが、日本の四季の中では
移ろう季節の花や木々の葉の色をあらわすのに、なくてはならない色の一つです。


梔子色(くちなしいろ) 赤みの鮮やかな黄色

梔子は食品の色付けでも多用されるクチナシの実から抽出される黄色を用いて染められます。
クチナシの実を乾燥して水につけるだけでも黄色の色素を得る事が可能なのですが、
色素を安定させるため灰汁を媒染に用いたり、アルカリイオンや酸による媒染により
色相の違いを得る事ができます。


黄檗色(きはだいろ) 鮮やかな黄色

黄檗色はミカン科の植物、黄檗の樹皮の内側にある黄色のコルク層を煮出して得られる色素
によって染められます。防虫効果がある事から古くから中国をはじめ紙製品に多く染められ
てきましたが、赤色などの下染めにも使われます。しかしこの黄檗の染料は酸性のため、
下染めの際にはその成分をよく洗い流さなければなりません。


刈安色(かりやすいろ) 緑みのある黄色

刈安色は日本では奈良時代には存在した、古い伝統色の一つです。この色素は、刈安という
イネ科の植物の葉を煮出して得られるもので、黄色の色素はルテオリンという太陽の紫外線
から身を守る物質からなり、夏の強い太陽光線を最も浴びる八月末のものが使われます。



鬱金色(うこんいろ) やや赤みをおびた鮮やかな黄色

鬱金色の色素は、ショウガ科のウコンから得られ、英名でターメリックといい食品の色付け
や香辛料の一つとしても知られています。江戸時代頃に日本にもたらされたといわれ、
この色素で染められた生地には防虫や殺菌の能力があることから、きものを包む風呂敷や
初着などにも利用されていました。


この他の黄系統の色として、芥子色(からしいろ)・山吹色(やまぶきいろ)・
菜の花色(なのはないろ)・女郎花(おみなえし)などがあります。




「茶」の系統


茶色は土や木の樹皮など、古くから日本の生活様式の中に数多く見られる色です。
またその色にはバリエーションも多く、鼠色とともに江戸時代には「四十八茶百鼠」
といわれるほどでした。

香色(こういろ) ごく薄い黄色みをおびた茶色

香色はその名前のごとく、奥ゆかしさが香り立つような色が特徴で、これは丁子という
香辛料(クローブ)から得られる色素から染められています。
この色の歴史は古く、平安時代には存在していたといわれ、清少納言の枕草子にも
この香色は登場しています。


柿渋色(かきしぶいろ) 鈍さをもつ赤黄をおびた茶色

柿渋は、まだ青い渋柿を自然発酵した液から抽出されるタンニンの一種で、この柿渋は繊維を染める
だけでなく紙にも染められており、その耐水性から型染めに使用される型紙に使われます。
この柿渋で染められた生地には抗菌・防臭・保湿効果があるとされ、古くは酒袋や味噌袋に、また
現在でも反物や普段身につける靴下やハンカチなどにも染められています。


胡桃色(くるみいろ) 灰みをもつ黄褐色

胡桃は食用で知られるほか、その樹皮や果皮を煮て灰汁で媒染した色素は胡桃染めとして
染色に用いられています。古くは奈良時代頃の写経用の紙にも染められており、また
源氏物語の「明石」の段にもこの胡桃で染められた紙についての記述が見られます。


この他の茶系統の色として、路考茶(ろこうちゃ)・団十郎茶(だんじゅうろうちゃ)・
檜皮色(ひはだいろ)・伽羅色(きゃらいろ)などがあります。



さて、幾つか色の名称が集まってきましたね~。
少し長くなっちゃいましたが、あともう少しお付き合い下さいね。
ここから下は紫・青・緑の色のご紹介です。
ところで、なぜこの色と他の色を分けたかと申しますと、
紫・青に関しては、紫草と藍による染色がとても多く、その中で濃度を変えたり
他の色とかけ合わしたりして染められるものが多くみられるのです。
また緑も黄色と青のかけ合わせによって得られるものが多く見られます。
もちろん、私が知らないだけで他の単体の染料があるのでしょうが、
一般的に知識としてはこの辺りで遜色ないのかなぁ~と勝手に思ってます^^;

それでは、紫からまいりましょう!


紫は紫草と呼ばれる植物の根から色素を抽出するものと、紅花と藍を重ね染めする
方法の二つに大別されます。(その他にムラサキガイからの色素などもあります)
中でも紫草の根は紫根(しこん)とよばれ、この根を砕いて灰汁で媒染して染められる
のですが、この紫根染は色が変わりやすくとても高い技術を要します。ですからこの
紫色は古代より特別な意味合いを持った色とされ、聖徳太子の時代に定められた
冠位十二階でも最上の色として珍重されました。
また紫を染める職人は古くより紫司とよばれ、その色を染める要職といわれていました。

紫色の種類としては
二藍(ふたあい・紅花と藍のかさねぞめ)・滅紫(けしむらさき・染液を一晩おいて黒みがかった
もので染めたくすんだ紫)・葡萄色(えびいろ・熟した葡萄のような深みのある黒みの紫)
などがあります。



次に青色です。この青色は藍の葉から抽出した色素によって染められます。藍の青い色素は
生の葉を用いる生葉染と、発酵させた葉から作られる蒅(すくも)で染める建染(たてぞめ)
があります。この染料の濃度を変え、たくさんの青系統の色が染められています。
本来藍の色素は不溶性のため、アルカリ性の溶媒で藍液を作り、それを使って染められます。
また藍は媒染と必要としませんが、空気中の酸素で酸化しやすいため蒅染などの染液は消石灰
などでph値を保つ必要があります。(また青色には藍銅鉱を用いた顔料もあります)

この藍を使った藍色の種類としては
甕覗(かめのぞき・藍甕を覗いた程度にごく浅く染めた藍色)・縹色(はなだいろ・
本来は露草の花の色であったが、藍の単一染めの青色をさす)などがあります。



続いて緑色です。こちらは葉から染められる草木染めのイメージが強いのですが、
色の安定に乏しく、時間の経過と共に茶色に退色する場合が多いのです。
ですから色調を安定させるために、刈安やクチナシ、ウコンなどで黄色に染めた後に
藍などの青系統を染め合わせて緑色を得ます。

萌黄色(もえぎいろ・新緑の萌えたばかりの緑の葉の色)・若竹色(わかたけいろ・
若い竹の幹に見られるようなさわやかな緑色)・常盤色(ときわいろ・常緑の松などの
葉の緑色)などがあります。



最後に、色の持つ名称はその材料を示すもの、また自然の風物から連想されるもの、
そして特定の人物が作ったり、好んだものがあります。
日本の古代色は西洋の色に比べて、落ち着いて控え目なものが多いのですが、
その名称が示すイメージの豊かさには、西洋の色にないものがあります。
またこれら単色だけでなく、それぞれの色を組み合わされて作られる「襲色目(かさねいろめ)」
は、古の日本人が作り上げた世界に誇れる色彩感です。
色の世界とは不思議なもので、色彩は季節をあらわすだけでなく、それを用いる時の
心情さえもあらわしてくれるものです。
どうぞみなさまも、そうした色に触れる機会がありましたら、それらの色を使って
自分だけの「現代版襲色目」を作ってみてはいかがでしょうか^^




宗流
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# by sou-ryu_mame | 2010-09-23 15:23 | きもの検定について

きもの検定 家紋について


こんばんは。
明日は祝日!今日は少し頑張って、二つ目のお勉強にまいりましょう!

さて。今回は「紋」のお話をさせて頂きます。
家紋って、ホントにたくさんありますね。
よく目にするものから、珍しいものまで様々。
皆さまもご家庭の中で目にされる機会が多いのではないでしょうか?
本日はきものの中の「紋」のお話、どうぞよろしくお付き合い下さいね^^


まずはざっと「紋」の歴史から見てまいりましょう。
「家紋」の起源は古く、平安時代頃まで遡ります。
この「紋」というものが平安時代以前にも、調度品などに入れられていたという
記録があるのですが、いわゆる各家の目印として認識されるようになったのは
平安時代からだと言われています。
しかしその当時は誰もが家紋を持っていたわけではありません。
貴族の者が、牛車や調度品などに家紋を入れてはいたものの、武士や庶民には
そうした習慣はありませんでした。
それが平安時代末期になってから、一部の武士も戦場で幔幕などに固有の図章を
あらわすものが現れたのですが、本格的に武士の間で家紋というものが一般化したのは
鎌倉時代になってからだといわれています。
そしてそれから長い時間を経て江戸時代になってから、一般の庶民も家紋を
持つようになりました。
しかし、それはこの時代の庶民には名字が与えられていなかったため
家紋は各家を表す標識として認識されていたそうです。


では、次にきものと紋の関わりを見てみましょう。
きものには着用する際のTPOが明確にあらわれます。
きもの自体の持つ格もあるのですが、もう一つきものの格を決めるものがあります。
それが「紋」の数です。
まずはきものの中でも最上の格を有する、第一礼装の紋です。


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留袖や男性の羽織袴には、紋を5つ入れます。
これが五つ紋といわれるもので、紋を白抜きで表した「日向紋(表紋)」といいます。
この五つ紋を入れる場所は、女性の場合背中の衿つけ部分から約5.5cm下に一つ
両袖の外側、袖山から約7.5cmの位置に一つずつ、そして両胸の肩山から約15cm下に一つずつ
計5つの紋を染め抜きます。またそのそれぞれの紋を、背紋・袖紋・抱き紋といいます。
礼装用には必ずこの日向紋を五つ紋にします。
この礼装用に用いるきものは、黒留袖・喪服が主なものですが、
色留袖に五つ紋を入れると留袖と同格の第一礼装として用いる事ができます。
ちなみに、紋の大きさは男女で異なり、男性用の紋は約3.8cm、
女性用の紋は2cmです。


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ついで、三つ紋です。
これは主に準礼装の装いの際に入れます。
三つ紋を入れる場所としては、五つ紋の抱き紋を省いた三つで
色留袖に付けたり、訪問着の中でも豪華な柄行きのものに付けられます。
(訪問着に染め抜き一つ紋の場合も準礼装として用います)
また色無地に染め抜きの三つ紋を付ける事で同じく準礼装の装いとなります。


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続いて一つ紋です。
一つ紋を入れる場合は、背中の背紋のみとなります。
色無地のほか、江戸小紋の中でも鮫・行儀・通しの三つは小紋三役といい
これに一つ紋を入れる事で略礼装となります。


では、次に紋本体の格についてのお話です。
紋はその形態によって格が決まっています。
その最上級のものが、染め抜き日向紋です。
これは紋自体を白く染め抜いたもので、礼装用などにはこれを用います。
ついで陰紋です。これは日向紋を輪郭だけであらわしたもので、線の太さによって
陰紋・中陰紋とよばれ、準礼装や略礼装に用います。
そして、縫い紋です。これは刺繍で紋の形を表したもので、「相良縫」「菅縫」などで
あらわし、しゃれ紋として用います。
その他に、色つきの加賀紋(染め・縫い)、家紋とは違いデザインとして楽しむ伊達紋
などがあります。


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ちなみに、女性が結婚するとき、嫁入り道具に実家の母方の紋をつけ、
引き続き使用する紋を女紋といい、陰紋のことを女紋ということもあります。
とはいえ、この婚姻後の紋に関しては地方やそれぞれのお家により
さまざまな意見があり、一様には断言できようです。
何にしろ、家紋はそのお家をあらわすしるしですものね、
ぞんざいには扱えませんね^^;



宗流
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# by sou-ryu_mame | 2010-09-23 01:12 | きもの検定について

きもの検定 袖のかたちについて



こんばんは。
本日の京都は、雨が降りそうで降らないビミョーなお天気でした。
三連休が終わり、再びのお休み♪
嬉しいのは山々ですが、明日はお天気も下り阪のよう。
でも、お部屋でお勉強する分には、どちらでも構わないんですけどね(泣)


さて、本日もお勉強にまいりましょう!
これまで、きものの主だった部分的の名称と、小袖文様については
お勉強しましたが、うっかりと「袖」のお話を忘れていました^^;
今回のセミナーではばっちりと紹介されていましたが、
どうでしょうね~…でも、覚えていないよりは多少はましなはず!
と、いう事で本日は「袖のかたち」のいろいろです^^


もう何回目か覚えてはいませんが、今回もビミョーな画像が出てまいります。
くれぐれも、子犬を見るような温かい心の目でご覧下さいね!


それでは、まずはこちらから。

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1:振袖

振袖の袖のかたち自体は、大振袖・中振袖とも変わりません。
長さは約90cm~114cmと長く、振りの部分も大きく開いています。
なお、卒業式などで着用される機会の多い二尺袖は、袖丈が二尺(約76cm)ほどで
袂の袖下のかたちも丸みを帯びているものが多いのが特徴です。


2:たもと袖

一般的なきものの袖の形です。
袖丈は約50cm内外で、袖下の丸みも自然なカーブを描いています。
袖口の大きさは約6寸(約23cm)ほどで、詰袖ともいいます。
袖下の丸みはやや小さく、約2cmの丸みがついています。


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3:元禄袖

元禄時代の小袖に見られる袖のかたちで、丸みが大きなものが特徴です。
袖丈も35cm~45cmと短めで、袖の丸みも8~15cmほどあったといわれています。



4:広袖

袖口から袖下までを縫わず、開いた状態の袖です。
平袖ともいい、現在も長襦袢や丹前などの袖はこのかたちです。


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5:舟底袖①
6:舟底袖②

どちらも舟底袖といいますが、袖下の振りがつくものとつかないものがあります。
袖丈は短く袖下がカーブを描いているのが特徴です。薙刀袖ともいわれます。


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7:鯉口袖

かたちは袂のない筒状の「筒袖」と同じかたちですが、それよりも少し袖付けが
長いものを鯉口袖といいます。


8:巻袖

もじり袖ともいい、後ろ袖の一部を前袖下に三角に折り上げたものです。
おもに仕事着用のきものに使われる袖のかたちです。


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9:細袖

鉄砲袖ともいい、 袖丈が短く細長いかたちで袖付け止まりに正方形の襠(まち)
がついています。こちらもおもに仕事着用のきものに使われる袖のかたちです。


10:角袖

男性のきものに使われる袖のかたちで、丸みが小さく角ばっており、
女性の袖の振りに当たる部分が、縫い閉じてあります。
また男性用の袖の袖付け止まりから袖下までの部分を「人形」といいます。




…袖のかたちと一口にいっても結構いろいろあるものです。
とはいえ、お襦袢の平袖、きもののたもと袖は馴染みがあっても
その他はなかなかないものかもしれませんね。
そう言えば、振袖以外の袖で比較的目にするものといえば、二部式のきものの袖。
お料理屋さんのユニフォームなどで時々見かけますが、あの袖は元禄袖に近いかも
しれません。何しろお料理を提供したり、食器を下げたりするには
袂があると邪魔ですし、汚れちゃいますものね。
そう思うと、良く考えられた袖だなぁって今さらながらそう思います^^



宗流
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# by sou-ryu_mame | 2010-09-22 21:54 | きもの検定について

きもの検定 帯について2



こんにちは。
今日は連休も三日目、最終日ですね。
お仕事がお休みの方は、のんびりとされたでしょうか?
またお仕事の方はお疲れ様です!

宗流は三日間、何となくあっという間に過ぎていきそうです。
頑張ってお勉強してはいましたが、身についているかはどうか。
でも、何もやらないで焦るよりは、少しでもやった方が
気持ち的にはやや落ち着くかしら??そんな所です^^



さて、本日は帯のお話の二回目です。
今日は前回の予告通り、帯の歴史についてのお話をさせて頂きます。
学校の社会科に関係する、地理・歴史はめっぽう苦手な宗流…。
大人になって再び社会科に近いお勉強をするとは思いませんでしたが
本日もお勉強スタートです!!


人類が体温の保温や保護といった観点から、当初は一枚の布を身体に巻きつけていたものが
やがてガウンのように身体を覆うものへと変化した頃から、帯はその衣服を留める
といった役割が大きくなってきます。
その後も衣服を留めるため(石帯など)、また刀を挿すためといった用途
(平緒など)や、素材・形状・結び方など様々な変化を経て現在に至っています。
それらの変遷を全てという訳にはいきませんが、その中の幾つかについて
帯の歴史としてご紹介したいと思います。




弥生時代~古墳時代

この時代は巻布衣や巻頭衣といった衣服を身にまとっており、
女性は生地に頭を通す穴をあけたものを着用し、腰に細い紐状の帯を結んでいました。

古墳時代頃になると、女性の衣(きぬ)・裳(も・スカート状のもの)、男性の衣・褌(はかま)
に倭文布(しづり)の帯を締める姿が、埴輪などにあらわされています。
この倭文布(しづり)の帯とは、麻や楮、梶などで縞柄を織り出した古代織物といわれています。
またこの頃の帯の事を、古事記によると「たらし」という言葉であらわされています。



飛鳥時代~奈良時代

唐の文化が色濃く影響したこの時代は、広袖の袍に代表されるような全体的にゆったりとした
幅や長さを持つ衣服が着用されていたといわれています。
しかし、まだ推古・飛鳥時代には、帯は広い幅を持つ装飾を兼ねたものというより、
袍を紐で留めるといった様子です。

奈良時代に入ると衣服令が制定され、それまで左前であった衣服が右前に改められ、
その頃あたりから紐であった帯も少し帯らしい紕帯(そえおび)といったものが見られる
ようになります。
また庶民の服装としては前合わせの簡素な衣服に細い紐状のものを締めていたといわれています。



平安時代

平安時代初期はまだ奈良時代の唐風の衣装を踏襲しており、男性女性とも奈良時代の様相と
それほど大きな差はなかったようです。

しかし中期以降になると遣唐使が廃止され、日本独自の国風文化が興り始めます。
男性の束帯に見られる朝服が変化した衣装には、石が嵌め込まれた帯(石帯)が用いられ、
刀を提げるための平緒が見られるようになります。一方、女性の衣装は小袖に袿を何枚も重ねる
衣装が生まれます。

その中でも女官の最高の礼服・物具衣装には裙帯(くたい)という
帯状のものが見られるようになります。この裙帯は、奈良時代に生まれた紕帯(そえおび)が
変化したものといわれています。十二単とよばれる唐衣・裳をつけた装束に見られる裳の引腰も、
紕帯の変化したものといわれる説もあるようです。
また、この頃の庶民は前時代と大きな変化はなく、小袖に細い帯状の紐を締めていたようです。



鎌倉時代

この時代も、帯が現在のように衣装の中で大きな面積を占めることはありませんでした。
また貴族中心の時代から、武家が主権を担う時代へと移り変わり、それまでのゆったりとした
王朝風衣装から、比較的活動的なものへと変化したのもこの時代からです。

武家男子もそれまでの袍を始めとする衣装は重要な行事の際に着用したものの、
公家風の衣装が生まれるようになりました。それにともなうように、上流武家の婦人もそれまでの
唐衣や表着、裳を省き、小袖の上に細帯を締め、袿を数枚程度打ち掛ける姿へと変化しました。



室町時代~安土桃山時代

この頃から、上級の武家の男性女性ともに、公儀の場では正装を用いたものの、それ以外の場では
それまで下着として着用していた小袖が表にあらわれるようになりました。

また上流武家の婦人の打掛が生まれたのもこの時期です。これは小袖の上に色柄のある小袖を一枚
打ち掛けた事から、打掛と呼ばれるようになり、その打掛の下の小袖を締めるための掛下帯と
いう帯を結んだといわれています。そして夏の礼装としては、帷子を着用して肩を脱いで腰の辺りに
巻き付けた腰巻姿という装いに、附け帯または提帯という帯を使用したそうです。

庶民の衣服としては、この頃は生地を割いて両端をくけた絎帯を使用していたほか、安土桃山時代
には組紐の技術を用いた名護屋帯が使われるようになりました。この名護屋帯には平組と丸組があり
紐先に房がついていたそうです。ちなみに現在の名古屋帯とは全く別のものです。
また16世紀後半になると、現在でも馴染みの深い博多織や、西陣の織物が織られ始めました。




江戸時代

江戸時代に入ると、ようやく帯の形にも大きな変化があらわれるようになります。
武家の女性の様相はそれまでの打掛姿が継続されていましたが、外出の際など長く引いた裾を
からげて歩きやすくするためのしごきのような帯、抱え帯もこの時代に生まれました。
またそれまで貴族・武家が中心だった世から、金銭的にも裕福な商人があらわれるようになり、
江戸の文化は町人文化ともいわれるように、広い階層に様々な流行が見られるようになりました。

この時代の帯の大きな変化の一つが、帯幅の広がりです。江戸時代以前の帯幅は、約2.5~3寸ほどだった
のですが、この時代以降は4~6寸ほどに広がり、長さも長く取られるようになりました。
その理由として、歌舞伎役者の人気がありました。彼らはいわば時代のファッションリーダー
のように、きものの意匠や帯結びの流行を生み出したのです。その代表的なものが上村吉弥による
吉弥結び、水木辰之助による水木結び、瀬川菊之丞の路考結びです。加えて表裏別の生地を合わせて
仕立てる腹合わせ帯(昼夜帯)が流行したのもこの時期です。

そして、帯幅が広くなったもう一つの要因が、女性の髪形の大きさの変化です。
この時代の女性は髪を結い上げていたのですが、時代と共にその結髪が大きく張り出してきた
ために、着姿の帯とのバランスをとるために帯幅が広くなったといわれています。
その最たるものが丸帯で、この幅は現在の袋帯とあまり変わりません。
江戸初期頃から、庶民や遊女の間では帯を結ぶ位置にも大きな変化があらわれました。
寛文(1661~73)頃には、帯を前結び、横結び、後結びと三様に見られました。
またこの頃の武家の奥女中が結んだ立て矢結びは、現在の振袖にもよく使われる結び方です。

ちなみに、この時代の帯結びは現在のようなお太鼓ではなく、帯揚げや帯締めも用いられませんでした。
現在のようなお太鼓に結ぶようになったのは、江戸末期に亀戸天神のお太鼓橋が完成した際に、
深川の芸者衆がこの橋の形に似せて帯を結んだのが始まりで、これが一般的に定着したのは
明治時代になってからだという事です。




明治時代~大正時代~昭和時代

明治時代にはお太鼓結びが一般化されるようになり、帯揚げや帯締めが使われるようになりました。
また外国から織機の技術が伝わり、西陣などの帯地の産地ではそれまでにない技術の革新が
見られるようになります。

また大正時代に入ってから女性の服装改良運動の一環により、名古屋帯が生まれ
次いで昭和に入るとそれまで礼装用に用いられてきた丸帯に代わって袋帯が考案されました。
そして昭和の30年代になると袋帯と名古屋帯の利点を兼ね備えた袋名古屋帯が生まれたのです。




…はぁ。。嫌になるほど長い歴史ですね^^;
とはいえ、これは帯の一部分であって、きもの全部となると恐ろしい事になりそう。
けれど、時代はゆっくりと流れているようでも、現在私たちの過ごす平成から見ると
その変遷はとても大きなものに感じます。
今から数百年もたった時代から今の平成の時代を見る人達は、今の私と同じような
気持ちになるのでしょうかね。
何にしろ、歴史が苦手な宗流にはめまいを覚えそうなお勉強であった事だけは事実です!



宗流
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# by sou-ryu_mame | 2010-09-20 13:56 | きもの検定について

きもの検定 帯について1



こんばんは。
もう連休の二日目も終わりますね…早いなぁ。
でも明日もう一日お休みだと思うと、
何となく嬉しい気がする宗流です^^


さて。
結構長い間「きもの検定」のお勉強をしてまいりましたが
ふと気がつくと、「帯」の分野が全然できていませんでした。
帯…きもの一枚に帯三本、と言われるほど
きものの着まわしにとっては大事なアイテムですが、
これも仕事で扱う機会がきものより多くなかったせいか、
ちょっと不明な所が多かったりします^^;
この機会です、少ししっかりお勉強してみましょう!



まずは一番大きな帯の種類分けです。
洋服に夏服と冬服、そして合い服があるように、きものにも
夏物・袷・単衣と各季節によってそれぞれ着用するものがあります。
そして、それは帯にも言えます。
帯にも夏物・冬物があり、夏帯の主な素材としては絽や紗、
羅・紗紬・麻などが使われます。またそれ以外の季節でも、
素材としては礼装用の豪華なものから、紬などの織の帯、
塩瀬などの友禅帯などがあり、帯に描かれた柄によって
季節感やTPOを演出しているものが多くあります。



次に、帯の形状の種類分けと特徴を見てみましょう。



1:丸帯

女性用の豪華な帯で、広幅の生地を半分に折って仕立てるため、
表裏の模様が同じである特徴があります。
江戸時代半ば頃、女性の髪型(結髪)が大きくなってきたことにより、
その髪とのバランスをとるために、帯結びや帯幅が大きくなっていったといわれています。
長さは4m30cm以上あり、帯地には錦織・金欄・緞子などの厚めの生地が用いられ、
またこれらの生地は江戸時代に中国から運ばれてくる際、厚い木の板に巻かれた状態
であったため、これらの生地を厚板物(厚板生地)とよび、近年までその流れをくんで
丸帯自体を「厚板」とよんでいました。現在では使われる事が少なくなりましたが、
留袖や振袖に使用したり、花嫁衣装の帯に使われます。


2:袋帯

明治時代以降、丸帯に代わって考案されたのが袋帯です。
寸法は幅約31cm、長さ4m20cm以上あり、二重太鼓や変わり結びが結べます。
この袋帯は表地は唐織・錦織・綴れ織・緞子など厚地のさまざまな織物が使われ、
裏地は無地や地紋だけの生地が使われています。
振袖、留袖、訪問着などの礼装用のきものには金銀糸を使用した豪華なもの、
また小紋や附け下げ、紬などには洒落袋帯といった金銀糸を控えた落ち着いたもの
が使用されます。


3:名古屋帯

大正時代、女性の服装改良運動の中で名古屋女子大学の塚原春子によって考案された
帯が名古屋帯です。
この帯は仕立てる前の生地幅が九寸(約34cm)ある事から、九寸帯、九寸名古屋帯
ともいわれ、仕立てる前の長さが1丈2尺5寸(約4m73cm)ほどあり、そのうち
たれ先として3尺(約1m14cm)を折り返して芯を入れてお太鼓裏にし、残りを半幅に折り、
胴巻き分に仕立てます。これが一般的な名古屋仕立てで、他に手先を折らずに
開いたままの鏡仕立てや額縁仕立て、て先だけを半分に折って仕立てる松葉仕立て
などの仕立て方があります。金銀糸を使ったものは附け下げや色無地などの準礼装に、
それ以外は紬や小紋に合わせます。


4:袋名古屋帯

綴れ織や紬、博多織などの地厚の反物の状態の幅、八寸(約30cm)がそのまま帯の幅に
なる事から、八寸名古屋帯ともよばれます。名前は「袋」とついていますが、袋状という
意味ではなく、袋帯と名古屋帯の利点を兼ね備えたという意味合いを持ち、生地幅そのまま
を使ってたれ先に3尺ほど折りかえして両端をかがり、て先を少しかがる仕立て方の帯です。
金銀糸を使い、締めた時に二重太鼓に見えるように仕立てたものは訪問着や色無地の略礼装に、
紬や博多織のものは紬や小紋のきものにあわせます。


5:京袋帯

表地を柄付きの生地を使い、裏地に無地や地紋のある生地を使って仕立てる点は袋帯と同じですが、
長さが名古屋帯と同じくらい(約3m60cm)のものを、京袋帯といいます。
格としては袋帯と名古屋帯の中間で、基本的には一重太鼓に結びます。袋帯より軽く、名古屋帯の
ように前帯の幅を自由に取れる点が特徴です。


6:細帯

一般的に、幅が八寸以下の帯を細帯といい、浴衣などに用いる一枚仕立てにするものと、
きものに用いる袋仕立てのものがあります。現在作られている細帯には、三寸・四寸・六寸
などの幅があり、特に四寸幅(約15cm)のものは半幅帯として知られています。
金欄や緞子などで織られ、袋状に仕立てたものは、変わり結びで締め、パーティーなどの
洒落着にも使われます。



7:兵児帯

兵児帯は柔らかな生地で織られた一枚物の帯で、もともとは男児や男性の長着用に使われて
いました。幅は八寸以下で、無地染めのものや絞りのものなどがあり、現在では帯結びが
簡単な事から、女性用の浴衣の帯などにもよく使われます。



そしてあと一点。帯の柄つけの方法をご覧頂きましょう。
画像については何度も申しておりますが、ビミョーな点もありますので
子猫を見る時のような心優しい気持ちでご覧下さいね^^;

c0163413_2151793.jpg


一番上は帯の表地全てに柄を置く(または無地地紋)全通柄です。
これは袋帯などに用いられ、どの部分にも柄があるため、変わり結びを締める際に
とても重宝します。
二番目は六通柄です。これは袋帯、名古屋帯に関わらずよく見られる柄置きで、
胴に巻くひと巻き目は下に隠れるため、この部分には柄がありません。
最後はお太鼓柄です。これは帯をお太鼓結びにした際に、目に触れる部分にのみ
柄を置く方法です。




…帯も改めてまとめてみると、わかっているつもりでも忘れていたり、
ふと思い出す点があるものですね^^
次回は帯の歴史の移り変わりをご紹介させて頂きます(←予定)





宗流
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# by sou-ryu_mame | 2010-09-19 21:51 | きもの検定について

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