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宗流がお届けする小さな豆知識。
by sou-ryu_mame

2010 正倉院展 その2


こんにちは。
祝日も終わりに近づいてしまいましたね~^^;
でも、普段は仕事で日中お家にいない宗流、
平日の午後をお家でまったりと過ごせるのは至福の時。
今日はのどかな時間が流れています♪


さて。
本日二度目の「宗流まめ知識」
今回は日曜日に出かけた正倉院展からのお話です。
前回に引き続き、どうぞよろしくお付き合い下さいね^^



それでは、今回はこちらから。
画像を二枚続けてご覧頂きます。


2010 正倉院展 その2_c0163413_16591586.jpg


2010 正倉院展 その2_c0163413_16594683.jpg



一枚目は「曝布彩絵半臂(ばくふさいえのはんぴ)」
二枚目は「橡地臈纈絁袍(つるばみじろうけちあしぎぬのほう)」です。


どちらも衣服のかたちとなった染織品ですね。
まず一枚目の「曝布彩絵半臂」から見てまいりましょう。
この曝布とは、白く晒した麻布の事をさします。また半臂とは、
袖なしや短い袖がつき、裾にスカート状の欄(らん)よばれるものがついた、
装束風の上着をさします。(この画像には欄は見られません)
この半臂は各パーツを同素材のもので仕立てられておらず、身頃の部分には白く晒した麻布、
衿や衽、袖の濃い色の部分は浮紋錦、腰紐には綾織、裏地には絁が使われた
袷仕立ての半臂となっています。
そして、身頃の部分をよく見て頂けると見てとれるのですが
鳥の模様が見られると思います。これはインコやキンケイといった鳥なのですが、
正倉院文様にはインコや鳳凰など、実在・空想のものにかかわらず
鳥の文様のものはたくさんみられます。
前回の含綬鳥もそうですね^^
今現在では褐色に退色していますが、もとは顔料で赤や緑などの極彩色を施した
美しい半臂だったそうです。


次に「橡地臈纈絁袍」です。
こちらは袍とよばれる丈の長い衣服で、宮中の公事の際に男性が用いた衣服です。
今でも神職の神主さんなどが大切な神事などで着用している衣服が袍です。
そちらをご覧になった経験がおありの方は多いかもしれませんね^^
また、源氏物語などの平安時代の貴族をモチーフにした映像や絵をご覧になられた際、
宮中の男性がゆったりと衣服を身につけているのを目にする事があります。

それは直衣(のうし)の場合もあるのですが、特に位の高い人物などが身につけている
衣服は、袍とよばれるものでした。
これは奈良時代頃より、中国文化の影響を受けて発達した衣服で、
日本でも着用されていたのですが、藤原時代に入って遣唐使が廃止され
日本の国風文化が発展した際には、当時の貴族の風雅な生活様式に合わせて
アクティブさを必要とされない、ゆったりとした袍が生まれました。
藤原時代になると、袍の袖も広袖のゆったりとしたものになったという事ですので
こうした筒袖状のものには、袍の原型の形跡が見られるのかもしれませんね^^

この橡地臈纈絁袍は、表裏を別々の絁で合わせた袷仕立てで、
生地の間には綿が入っています。
また表地は臈纈:ロウケチ(ロウケツ染め)で襷文様が染め抜かれています。


さてさて。
まずこの二点をご覧頂きまして、次は衣服としてのお話に移りましょうか。

この一点目の「曝布彩絵半臂」ですが、名前こそ半臂というなじみ浅いものですが
形をよくご覧頂くと、今現在私たちが着用する「きもの」ととてもよく似ています。
衿の合わせや衽があり、衿の合わせ方は今と同じ右前になっています。
(これは養老三年(西暦719年)に発令された衣服令により
衿を左前に合わせていたものを、右前に合わせる右衽着装法と改めました)

また二点目の「橡地臈纈絁袍」は、きものの前合わせとは違う衿の形をしており、
高さの低い詰襟状という感じです。これを盤領(あげくび)といい、
半臂のような衿の形を垂領(たりくび)とよんで区別しています。


いま私たちが着用しているきものは、近い時代では小袖を原点にしたものと
いわれていますが、きものの形としてはこの奈良時代にある程度が完成された
のかもしれませんね。


…今日はもう少しご紹介したいと思っていたのですが、
気がつけばこれまた長いお話になってしまいました^^;
残りはまた次回でご紹介してまいります!



では、前回から始まったクイズコーナー(?)です^^
きもの検定の三級~を受験される方などにご覧頂けると嬉しいのですが、
そうではない方もどうぞお気楽に挑戦なさってみて下さいね♪




1:曝布(ばくふ)とは白く晒した麻布をさしますが、糸の段階で漂白しない麻糸を
何というでしょうか?



2:現在私たちが着用するきものの衿合わせは右前(右の衿を先(下)にあわせる)
  ですが、719年に発令された衣服令以前には左前に合わせていました。
  その着装方法は何とよばれていたでしょうか?



3:唐(中国)の文化や情報を日本に伝える目的で派遣された遣唐使ですが
894年に平安時代の貴族(学者であり政治家)である人物の建議によって遣唐使は
  廃止されます。その人物は誰でしょうか?



4:綿入れとは冬季の防寒用の衣服で、表布と裏地の間に綿を入れて仕立てたものを
  いいます。これらには現在も幾つか種類がありますが、それらはどんなものでしょうか?




それでは答えです~!
※あくまでも宗流の解釈なので、単なる参考程度でとどめておいて下さいね^^ 


1:生平(きびら)
  滋賀県彦根市、高宮町の特産品だそうです^^
  (↑他にもあるのではないかと思いますが、滋賀県しか解りません。ゴメンナサイ!)


2:左衽着装法(さじんちゃくそうほう)
  洋服は男性・女性で違う場合もありますが、きものは男女とも現在は右前です。
  左前に着装するのは死者の装束に用いられますね。


3:菅原道真(すがわらのみちざね)
  学問の神様としても有名ですよね^^


4:丹前(たんぜん)・半纏(はんてん)・どてら・ねんねこ・ちゃんちゃんこ、
  などだそうです…とはいえ、宗流はどてら、ねんねこがいま一つよく解りません^^;
どてらって、丹前と同じものなのかしら???



宗流
by sou-ryu_mame | 2010-11-03 17:01 | お出かけ

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